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『織田信長が好き!!』~龍華成の安土城文庫~
織田信長に対する愛を綴っております。 メインは500冊近くなってきた蔵書の紹介と、まだ見ぬ名作の探求です。 歴史を真面目に勉強したい方にはオススメ出来ません(笑)戦国史を楽しむ管理人のブログです。












ぶろぐ内探索

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素敵な木瓜瓦(長興院


妙心寺玉鳳院に着きました。
gyokuhou-2016-1.jpg

中は撮影禁止なので、あしからず。
gyokuhou-2016-1-2.jpg
↑庫裏。
から入りまして、東に本堂。更に東に開山堂。
その裏手というか、東側に上様と信忠のお墓があります。
あと、その隣に、信玄公・勝頼・信勝・信豊のお墓もあります。
と、上の写真の木の看板の最後の方に書いてあるのですが、
そろそろ読めなくなりそうです。

入ってきた正門の方へ戻ろうかと思ったのですが、
玉鳳院の正面に細い脇道があったので、
そこを南へ歩いていましたら、素敵な瓦の塔頭を発見しました。
tyoukouin-2016-1-1.jpg

津田家菩提所 長興院
tyoukouin-2016-1.jpg
津田で木瓜紋で、織田が関係ない訳がない!
と、思って調べてみました。

妙心寺塔頭 長興院
開祖は妙心寺五十六世九天宗瑞(くてんそうずい)。
天正九年(1581)、滝川一益が九天を開祖に請じて創建した。
当初は暘谷(ようこく)庵と称する一庵の所在地であったという。
そのためか慶長11年(1606)に津田秀政(つだひでまさ)が
再興したときには暘谷院と号したが、秀政没後
ふたたび長興(ちょうこう)院と改めた。
元禄(げんろく)六九二には開祖九天が当院の隣接地に閲創していた大雲(だいうん)院を併合する。
貞享(じょうきょう)三年(一六八六)にいたり、現在地へ移建された。
その跡地は本山(ほんざん)が買い取って宝蔵(ほうぞう)を建立(こんりゅう)し、今日の景観におよんでいる。(妙心寺HPより

九天宗瑞(くてんそうずい)
滝川一益の子(もしくは養子)

津田秀政(つだひでまさ)(1546-1635)
祖父・織田秀敏 父・津田秀重
妻は一益の娘(もしくは養女)
その関係からか、一益の与力。
秀敏は織田信定の弟なので、
秀政は上様から見ると、はとこになるのかな。

ちなみに、大雲院の開基は慈徳院(もしくは一益)
慈徳院は信忠の乳母で、後に上様の側室。
秀吉の側室になった三の丸殿の母。
一益の一族らしい(もしくは娘)

もしくは、ばっかりで困った。
それにしても、自分の子供のひとりを、
大きなお寺に入れて、その子を開山に菩提所を作るのって流行ったのかしら。
それと、上様の肖像画がある長興寺(豊田市)と
長興がかぶってるのは偶然なのかしら。


 
コメント
この記事へのコメント
こんにちは。
今年も更新楽しみにしています。
妙心寺長興院は津田秀政の院号から取ったので、偶然の一致です。
2016/01/20(水) 16:01:05 | URL | k2 #-[ 編集]
偶然に運命を見出そうとするのが、自分の悪い癖。
k2様
こんばんは!いつもありがとうございます!
検索してみたら、長興寺や、長興院という名前のお寺さんがざくざく出てきたので、偶然なんだろうな、とは思いつつも、どこかで何かほんわかエピソードがあったらいいなぁ。
と、思ってしまう、おまけに漫画のネタにしようとしてまうのが、自分の悪い癖であります。
ふらりと2回目のお墓参りに行っただけでしたが、今回は、何やら滝川一族の影が濃く感じられたお参りになりました。
2016/01/20(水) 21:43:16 | URL | 龍華成(管理人) #-[ 編集]
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