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『織田信長が好き!!』~龍華成の安土城文庫~
織田信長に対する愛を綴っております。 メインは500冊近くなってきた蔵書の紹介と、まだ見ぬ名作の探求です。 歴史を真面目に勉強したい方にはオススメ出来ません(笑)戦国史を楽しむ管理人のブログです。












ぶろぐ内探索

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仙台→天童→会津若松→三春→名古屋


超絶インドア派の管理人が旅してきました。
上様ゆかりの地をついでと云ったので、ずっと雨でした。
上様、鶴ちゃん、ごめんなさい。龍華です。


と云う訳で、
尾張人の管理人が東北へ旅してきました。
経路は表題通り。

仕事帰りに名古屋から高速バスで、早朝に仙台入り。
御屋形様ぜんっぜん関係ないのですが、
折角仙台に来たのだから、
と、
sendaiaobajou.jpg
梵天さん見てきました。
信玄公みたいに駅前とかに居て下さると助かったのですが、
駅からバスで30分くらいの青葉城(仙台城)跡にあります。
あまりに朝っぱら&小雨だったものですから、
資料館も売店も開いてないし、観光客が誰もいない。
という、貸し切り梵天さんでした。
この銅像の見おろす先が仙台市内、という素敵な配置なのですが、
この日は朝霧のおかげで全く見えず(汗
去年の地震で石垣が崩れて通行止めのままのところがあったり、
遊歩道が綺麗に直されたてのところがあったりして、
やはり地震のことを思わずにはおられない仙台でした。

さて、梵天さんも見れたので、
いざ天童へ!!
JR仙山線で山形方面、羽前千歳で乗りかえて天童へ。
乗り継ぎが時間的にあまりうまくいかなかったので、
お昼頃に着きました。
tendoueki.jpg
天童は将棋の駒が有名で、先週末は人間将棋と云って、
広い会場に将棋盤を書いて、人間が駒になって、
プロが将棋を指す。という、リアルハリポタ第一話みたいな
イベントがありました。
面白そうですが、管理人的メインはそちらではありません。
幕末期、天童には織田信雄を祖とする、天童藩があり、
宣教師が描いたとされる例のリアルな白黒の御屋形様の
肖像画がある三宝(難しいほうの宝)寺と、
御屋形様を祭神とする、建勲神社があります。
天童藩に至るまで&至った後には、聞くも涙語るも涙の
苦労の歴史があるのですが、語り出すと大変なので、
興味のある方は調べてみて下さい。
さて、
まずは三宝寺。
天童織田家の菩提所で、御屋形様&歴代藩主のご位牌と、
肖像画(を撮った写真)があるお寺さんです。

sanpouji-mon-1.jpg
JR天童駅の東口を出て、正面の信号を右折してひたすら南下。
徒歩15分くらいで、電柱に三宝寺の看板が出ているので、また右折。
突き当りに、↑表門が見えてきます。
sanpouji-mon-2.jpg
何故、桐紋なのか気になる所ではありますが、
(織田木瓜より、将軍下賜の桐紋のがステータス上なんですかね?
それはさておき、
中に入りますと、正面に本殿、
sanpouji-honden.jpg
すぐ右手に廟所、仰徳殿があります。

sanpouji-byou.jpg
↓案内板サムネ クリックで拡大
sanpouji-annai.jpg
こちらにご位牌と写真が納められています。
ゆかり様によると、事前に連絡すると開けて中を見せて
いただけるそうです。
管理人はチキンなので、寺務所に声をかけることもせず、
外から拝ませていただいただけでした(汗
こんなサイトへ来て下さる方ならご存じとは思いますが、
宣教師が描いたという、御屋形様の肖像画。
代々こちらの織田家に伝わっていたものを、明治になって
写真に撮り、その写真を天童藩・宮内庁・三宝寺で保管
していたそうなのですが、原本の画も、天童藩・宮内庁の写真も
紛失していて、三宝寺の写真が最後の一枚だそうです。
原本と天童藩分は戊辰戦争で焼けちゃったんだと思うのですが、
宮内庁は大事にしててよね!(バチカンの屏風もそうだけど
と思ったり思わなかったり。
仰徳殿にあるのは、その写真の複製だそうですが、
まさか本物の写真ってことはないですよね?
だって、鍵かかってましたけれど、管理人ですら道具使ったら
壊せそうな鍵だったので、ほんとちゃんと、温度湿度遮光管理の
整ったところで保管されていますように!!



といったところで、
帰ってきた日のうちに書き上げたかった旅レポ。
管理人もう眠い&明日も朝から仕事なので(連休?なにそれ美味しいの?
後日につづきます。すみません。おやすみなさい。
コメント
この記事へのコメント
江戸時代に大名の織田家が4家あった為、江戸城内で所持品を区別するために、それぞれがサブ家紋を用いられていたそうです。「平家の揚羽蝶」と「藤原氏の藤の丸」と「五三の桐」と「織田木瓜?」だったと思います。つまり、たぶん、天童藩が桐の家なのだと思います。
2012/04/28(土) 09:36:51 | URL | 六花 #-[ 編集]
ありがとうございます!
六花様

はじめまして。管理人の龍華と申します。
(はじめましてじゃなかったらすみません!!
こんな辺鄙な所へお越しいただき、ありがとうございます。

織田の大名家がみんな木瓜紋だと、持ち物が区別できなくて困る・・・・・!!!!
そうだったのですね!そのエピソード面白すぎます!!
確かに、建勲神社の幟旗にも、木瓜と桐紋が並んでいたので、天童は桐なんですね。
あとはどこがどれだったんでしょう?
定紋?の木瓜をゲットしたのは何藩なんでしょう。
自分でもちょっと調べてみたのですが、分からずじまいで、もしご迷惑でなければ、出典などお教え頂けたら幸いです。
2012/04/29(日) 10:58:34 | URL | 龍華成(管理人) #-[ 編集]
確か、「柳本藩織田家記録」という本に載っていたと思います。有栖川宮邸跡地にある東京都立図書館の蔵書です。プレミア価格での入手も可能と思われますが、江戸時代の柳本藩藩士が書いた文書を活字にしたものですので、信長公のことは既に歴史上の人物という扱いとなっています。
2012/05/02(水) 21:39:42 | URL | 六花 #-[ 編集]
プレミア価格(汗
六花様

ありがとうございます!!
これは是非機会を作って読んでみたいです。
東京良いですね。1週間くらい泊り込んで、図書館に入り浸りたいです。
江戸時代は信長公の扱いがあんまりよくないイメージですが、ご子孫や関係者がどう思っていらっしゃったか興味があります。
ご教授ありがとうございました!
また、お暇がありましたら管理人のつぶやきに色々ご助言頂ければ幸いです。
2012/05/07(月) 12:03:19 | URL | 龍華成(管理人) #-[ 編集]
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