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『織田信長が好き!!』~龍華成の安土城文庫~
織田信長に対する愛を綴っております。 メインは500冊近くなってきた蔵書の紹介と、まだ見ぬ名作の探求です。 歴史を真面目に勉強したい方にはオススメ出来ません(笑)戦国史を楽しむ管理人のブログです。












ぶろぐ内探索

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主をうつみのin野間
20070912185004.jpg
管理人、現在、野間に来ております。
仕事で知多半島の方まで来させられたのですが、
受領の如く、ただじゃ帰りません(笑)
そういや内海に信孝(御屋形様の三男)のお墓があったような…
と、思い至り、名鉄に飛び乗りました!
(こんな行き当たりばったり、皆さんは真似なさらないように!)


折しも夕暮れ時、海に沈みゆく夕日を眺めながら電車に揺られること30分。
野間駅に着いた時には日没直前。
急いで野間大坊に向かいました。
新四国霊場五十番札所、大御堂寺。五十一番札所、野間大坊。
(同じ境内に2つあるらしいです)
信孝のお墓というより、源義朝のお墓の方が有名だと思います。
詳しい話は知りませんが、確か平家に敗れて東国へ落ちる途中、
身を寄せていた家の主人に裏切られ、風呂に入っている所を襲われ、
「せめて木刀一本あったなら…」と言って息絶えた。
なので、義朝のお墓には木刀が供えてあるんだよ、
とかいう話を高校の日本史の先生がしてました(うろ覚え…汗)


夕日に向かって、てくてく10分くらい歩くと
大きな林のようなところが見えてきました。
義朝公はりつけの松、とか、義朝公の首を洗った血の池、
とかいう看板を越えると(怖)楼門がそびえていました。
20070913033012.jpg
境内に入って、案内の看板を見るも、義朝公ばっかりで、
織田のおの字もありません。人っ子一人いないので、
とりあえず義朝公のお墓に参ることにしました。

おぉ。木刀じゃないけど、竹刀が供えてあるよ、と感心していると、
左右と奥にひとつずつお墓があるのが見えました。
その右側のが、信孝のお墓でした。
20070912215549.jpg
20070913033256.jpg
(暗くて写メではこれが限界…)

誰か掃除してやってくれ~!と思うような見事な苔むし方、
プラスチックかごの賽銭箱には落ち葉が積もり、
墓石はど真ん中を亀裂が走っているような、
ちょっと可哀想な状態でした。
でも、賽銭箱には結構小銭が入っていたので、
ちゃんと信孝の為にお参りに来てくれる方もあるのね!
とちょっと感動しました。

さて、そもそも何故信孝のお墓があるかと云うと、
本能寺の変後、秀吉と対立した信孝は、柴田勝家と組んで
岐阜で挙兵するも、柴田は賤ヶ岳で秀吉に敗れ、
信孝は(腹違いの)兄の信雄に攻められて開城。
内海の大御堂寺へ送られ、そこで自害させられたのです。


『昔より 主うつみの 野間なれば 報いを待てや 羽柴筑前』


辞世の句と云われております。
源義朝の故事と、内海と討つ身をかけてるんですね、たぶん。
ひそかに、上手いなぁ(山田君、ざぶとん!)とか思っております。
あと3、4種類ほど伝わっています。(出典によって違うので)
昔よりがいにしえも、だったり、野間が浦、だったり、
報いが終り(尾張にかけてある)だったりします。
これだけ違うと、本当に辞世かいな、と思ってしまいますが(汗
でも、うまいからいいや(いいのか!?

田園風景が広がって、夕焼けも綺麗で、風も気持ちよくて、
静かでとってもいい所でした。
帰り道が暗くてちょっと怖かったですが・・・汗


おまけ
20070913033543.jpg20070913033535.jpg
義朝公のお墓         めんじゅでなくて、めんじょう?
                  (前回の記事参照)
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